ノダキの歴史は「挑戦の歴史」です
ノダキは、お客様、仕入れ様、先輩社員の方々に支えられ創業110余年を迎えました。
長い苦楽の中で時代に合わせ変化してきたからこそ、今のノダキがあります。
次の100年へ。培ってきた挑戦の想いを受け継ぎ、私たちは歩み続けます。
ノダキは、お客様、仕入れ様、先輩社員の方々に支えられ創業110余年を迎えました。
長い苦楽の中で時代に合わせ変化してきたからこそ、今のノダキがあります。
次の100年へ。培ってきた挑戦の想いを受け継ぎ、私たちは歩み続けます。
明治40年(1907年)、初代 野田貴一郎が工具をリヤカーで売り歩く商店を現在の本社近くに開いたのがノダキの始まりです。それまで機械工具の輸入を海外に頼ってきた日本でしたが、日露戦争を境に国産工具を求める声が高まる中での船出となりました。
創業後は主に伝動装置用品卸商として鋳物ブーリーなどを販売していました。大正12年には合名会社となり、旭精工様の中部総代理店としてベアリング機器の扱いが増えていきます。また昭和初期には住友電工様との取引が始まります。野田貴商店の基盤ができたのはこの頃です。
しかし昭和16年に太平洋戦争が勃発。社員の多くが出征し商品も配給制となります。社員総出で消火に取り組んだこともあり社屋は焼失を免れ、戦後の復興期を迎える事となります。
戦後、住友電工の超硬工具や焼結部品、特殊線などが取扱いの中心となります。高度成長期に入り売り上げも伸びる中、昭和40年に不況が訪れます。大口の取引先が立て続けに倒産し資金繰りに苦労した時代でもありましたが、先輩方の不断の努力により試練を乗り越えることができました。
昭和35年に「所得倍増計画」が打ち出される中、経営の近代化に着手。名古屋市経済局の商業診断を受け経営改善に取り組んだ結果、通産省中小企業庁長官から表彰されます。また、企業イメージを向上させるべく社名を「野田貴」から「ノダキ」に変更。まだカタカナの社名は珍しく「カタカナの会社は何か信用できないな」などと冗談を言われたこともあります。
昭和39年には大学新卒者の採用を開始。新規事業への取組みや、社員教育制度の充実化、VE・QC活動のスタートなど、多くの新しい取組みがありました。
戦後しばらくまでは"のんびり"とした商売だった機械工具業界ですが、徐々に高い頻度での納品が要求されるようになります。切削工具の販売はお客様の近くにいる事への期待が高まることから、昭和53年に最初の営業所として刈谷営業所を開設。その後の日本各地への営業所展開の先駆けとなります。平成の世になりITが普及したことによる販路の増加も大きな機会となりまりました。
平成7年、シーリング工事とスリーエム商品販売に専門化した子会社ノダキシーアンドシーを設立します。
また、海外進出として平成14年にはタイのバンコクに現地法人ノダキタイランド、平成20年には上海に洛塔起精密工具貿易有限公司を設立。
原点である工具販売を大切にしながらも、新しい分野へ積極的に取り組んで行く挑戦の表れでもあります。
平成19年、ノダキは創業100周年を迎えることができました。
日露戦争の記憶も新しい明治40年の創業以来、お得意様、メーカー様、並びに多くの皆さまのご支援、お力添えの賜物と深く感謝しております。また、苦楽を共にした社員たちの奮闘も言うまでもありません。
ノダキは様々な苦難や時代の変化に挑み続け、変わり続けてきたからこそ創業110年を超える企業となることができました。
しかし、昨今の自動化やAIなどの目まぐるしい技術革新を飛躍の機会とするには、さらに挑戦を続けなければなりません。
一人ひとりがその思いを胸に、ノダキは次の100年に向けて挑戦し続けます。